#39
《蒼き星の約束、白い花の誓い・二幕》
(by 戯言士:皐月)
「心配すんなって。手は有るさ。任せたぜ、姉ちゃん」
「くすくすくす。はい。任されました」
彼女達の後ろに投げ掛けられた言葉に対する返事は、当たり前のように彼女達の後ろから返ってきた。
振り向いた先には、おそらくは少年と一緒に転移してきたのだろう女性の姿があった。
「わぁ…」
驚きより先に少女の口から出たのは感嘆の声。
身の丈は姉とさほど変わらないだろうか。物語に出てくる、泉の妖精が着ていそうな純白のゆったりとした衣服に包まれ、そこから覗く手は驚くほど白い。地に届きそうなほど長くて真直ぐでさらさらの銀髪には蒼い星に似た花をあしらった小さな髪飾り。身長の割に顔を幼く見せているぱっちりとした大きな瞳は血のように赤く、その顔には微笑みを貼りつけている。
そう。「貼りつけている」のだ。表情を。微笑みをかたどって造った仮面みたいだな、と少女は思った。
そして何よりも目を引いたのはその首。細くて白いその首に似付かわしくない、黒くて大きな首輪。よく見ると衣服からうっすら透けて見える、同性から見ても魅力的に映る肢体の右腕を中心とした半身に、首輪につけられた白い花飾りから繋がった鈍く光る鎖が巻き付いている。その鎖のもう一方の先端は、細かい彫刻がなされた指輪になっていて、彼女の右手中指にはめられていた。
彼女のイメ-ジを言葉にあらわすなら「夜闇に落ちた白い影」とでも言おうか、かなり独特で強烈な見た目なのに、どこか存在が希薄な印象を受ける。
「…結構多いですね」
迫りくる魔物の群れに目を向けて表情どころか眉一つ動かさずに発せられた声は、見た目よりずっと幼くて(童顔だから正確には“その身体より"か)、玻璃のように澄んで儚いものだった。その声に動揺や不安の色は一切ない。ただ単に目の前の事象を口にしただけ、というふうに聞こえた。
「五千てとこじゃね?雑魚ばっかだな。お山の向こうから出張ってる物好きはいねえみたいだ。いても大して変わんねぇけど」
「面倒ですよね」
「だから任せたんだけどな、はっは-」
世間話でもしているかのような調子の会話に少女の方が逆に焦る。命の危機に直面したこの場面を「面倒」のひとことで終わらせる。命のやりとりなどと縁のない武術の試合ですら、その前には今となど比べるべくもない緊張があるというのに。
そんな少女の動揺を感じてかどうかは知らないが、女性がこちらを見る。
「大丈夫ですよ。あなたたちは絶対に守ってみせますから」
僅かに目を細めてそう言われただけなのに、つくりものの微笑が本物の笑顔のように感じられて安心感がわいてくる。でも何故だろう…彼女のその微笑は何かに耐えるような、痛々しいもののようにも見えたのだった。
気分が落ち着いて初めて気付いた。姉が繋いだ自分の手と姉の胸元に下げられた珊瑚の十字架を強く…痛いほどに握り締めていることに。
「お姉ちゃん?」
緊張しているのだろうかと思った。が、姉の顔を伺ってみてそれが間違いであると気付く。
姉の緋色の目は緊張や混乱ではない色を宿していた。
それは憎悪であり恐怖であり憤怒であり狂喜。そんな冥い意思の混在する目で目の前の白い女性を睨み付けていた。
何故、姉が彼女にそんな目を向けるのかは解らない。でも、少女は姉がそんな目をすることが、嫌で、悲しくて、恐かった。
「いや、任せた手前こんなこと言うのもアレだ、たぁ思うんだけどさ…」
自分達を挟んで、少年と女性の会話はまだ続いているが、今はこの状態の姉が不安で仕方がない。法衣と繋いだ手を引っ張りながら呼び掛け続ける。
「…ど-すんだ?姉ちゃん、騎士様も居ねえんだろ?《騎士剣》以外にあの量相手に出来る得物持ってたっけ?何ならオレサマがさくっと殺っちまっても…」
「人間の魔法ひとつと訳が違いますよ。あの規模をどうこうしようとすれば、あの辺り一帯が暫らく異界化してしまいます」
「それは駄目なのか?」
「駄目です」
「じゃあど-すんだよ?先に言っとくが地味な作業すんならオレサマぁ手伝わねえかんな」
「言ったでしょう?任されました、と。《痛みの鎖》を解放します」
「なッ!《月を呑む獣》だと?莫迦が!考え直せ!」
それまでただ淡々と続けられていた会話に入った焦りの声。その声に少女も姉を呼ぶ声を止めてしまう。
「あなたがあれを消した時点でここから生還する方法は限られています。それともその二人を連れてもう一度無事に転移できます?」
「ぐぅ…すまん、無理。反論出来ねえ自分にムカつく。面倒かけさせる雑魚共にムカつく。何よりムカつくのは逃げる頭数に自分を入れねえ姉ちゃん、手前ぇだ!もう止めねえ。好きなようにやってみやがれ!」
「くすくすくす。ありがとうございます。今回はこれが初めてなので少々接続に時間が掛かります。それまで周囲の警戒の方、任せました」
「…ちっ。わぁったよ。おい嬢ちゃん」
嬢ちゃん…とは自分のことなんだろう、多分。自分とさほど変わらない歳に見える少年に「嬢ちゃん」呼ばわりはかなり癪だが、何も出来ずただ守られる身としてはそんな些細な事で反論するのも気が引ける。
というか、さっきの「面倒かけさせる雑魚」発言は些か堪えた。自分も一応武術ではそうそう引けをとらない自信はある。が、流石にそれで数千とか言っていた数の魔物や魔法の狙撃に勝てると思えるほど馬鹿でも無謀でもない。冷静な自己分析による無力感が益々彼女の気勢を下方修正する。
「…なに?」
そんな感情を表に出さずにちゃんと返事できた…と思う…多分。
それなのに彼は少し訝しげな表情を浮かべた挙げ句
「ぁ?何へこんでんだ?訳わかんね」
なぞと宣った。あんたのせいだよ馬鹿!
でもそれで沈み込んでいた気分が少し浮き上がる。まさか彼はそれが目的で?
…な訳ないか。いやいや、むしろいきなり乱入しておいて「面倒かけさせる」は如何なものなのか…でも、助けてくれるのは純粋に有り難いよ。うん。
「まぁいいや。命が惜しけりゃオレサマから街の方とそっちの白い姉ちゃんから向こうには絶対出るんじゃねえぞ。さっきから固まってるあんたの姉ちゃんもちゃんと捕まえとけ」
少年は無言で頷いた少女を確認すると、きっ、と再び女性を睨む。
「姉ちゃん。これだけは言っとくぜ。間違っても死ぬんじゃねえぞ。もし死んでみろ…オレサマがぶっ殺してやるかんな!」
「ええ、心に留めておきます…わたしにそんなこと言ってくれたのは、あなたで二人目ですよ」
色々と矛盾を孕んだ少年の言葉に女性は昔を懐かしむような声音で応える。
「…けっ、だから嫌だったんだよこいつのお守りは」
それを聞いての少年の呟きには、言葉どおりの嫌悪は微塵も見えず、むしろ拗ねているように見えてちょっと笑えた。
《痛みの鎖》に《月を呑む獣》…言葉の意味は解らないが、女性に小さくない危険があるものみたいだ。多分、殺すのなんのとひどい物言いだが、少年は心から女性のことを心配しているんだろう。「姉ちゃん」と呼んでいるから姉弟なのかな?…お姉ちゃんも私のことあんな風に心配してくれたりするのかな?今夜は久しぶりにお姉ちゃんの料理が食べたいな。向こうの皆もきっと驚くはず、あ-向こうにも格好良いひといるかな-この男の子は顔はいいけど生意気そうだからなぁでもお姉さんは凄い綺麗なひとだな手足もすらっと長くて胸凄いのにお腹あんなに細くてどうやったらあんなになれるn(ry
「うげえっ!」
無軌道に逸れまくっていた少女の思考を引き戻したのは少年の声。心からうんざりしてそうなその声につられて彼の視線を追い…凍り付く。
街の上空に、先程と同じような火炎弾が生成されようとしていた。
「…ッ…糞がッ!おい、嬢ちゃん!」
「何?」
いちいち呼び方を気にしたり凹んだりしてる状況じゃないことは少年の張り詰めた声で理解できる。私に何が出来るのだろう?
「嬢ちゃん、魔法のこととか詳しいか?」
「使えなくはないけど、理論とかはあまり。そういうのはお姉ちゃん…」
「よし!お前の姉ちゃん叩き起こせ!今すぐだ」
姉を見上げる。姉はさっきの表情とポ-ズのまま固まっていた。
「早くしろ!アイツが後ろの何とかしてくれたってこれじゃあ意味ねぇぞ」
本気で時間が惜しいらしい…あまり使いたくないが、使うしかないか。この姉を確実に覚醒させる“魔法の呪文"。
「……偽善者」
ぼそりと。魔物の群れが起こす遠い地鳴りにかき消えそうなほど小さく呟いたその言葉に、姉の全身がびくんと跳ねる。
そして、ぎちぎちという擬音が似合いそうな動作でこちらに向いた姉の口は三日月型をしていた。でも目は全然笑っていない。恐い恐い恐い恐い…いや違う今はそんなこと言っている場合じゃない。
「アリ…」
「それは後っ!あの子がお姉ちゃんに聞きたいことあるって!緊急事態だからすぐ!」
姉の言葉を遮ってまくしたてる。少女の本気の焦りが通じたのか、姉の顔がもとの真面目なものにもどる。そこに少年の怒声がかかった。
「漫才やってる場合じゃねぇ!おい、嬢ちゃんの姉ちゃん…ぁぁ言い辛ぇ」
「ルセルです」
「んじゃルセル。人間てのはあの手のやつ何発くらい撃てるもんなんだ?」
何かが引っ掛かる言葉だった。姉も少し眉をひそめるが、すぐに返答する。
「?…だいたい単発で連続十回程度でしょうか。でも多累重詠唱の場合、個人負担は数十倍に跳ね上がります。それに大気中の魔力にだって限界があります。それの足りない分は術者の生命力から補填することに…いくら王宮勤めの魔術師だろうと二射目をやったら少なくみて三割は再起不能、下手をすれば…死にます。あの技術はもともとが破城用のもので同一部隊による連続使用は想定されていません」
「複数部隊が展開されている可能性は?」
「遠目ですから確証はありませんが、おそらくないかと。詠唱者の位置も重要ですから、複数部隊があれば隊列交替があるはずです」
「ぁぁ?一人も動いてねぇぞ」
「なら…そういうことです」
少年の目がひときわ険しくなる。食い縛った歯がぎりぎりと音を立てる。彼の全身から発散されるのは、これまでで最大級の怒り。
「ならさっさと諦めろってんだよ…慌てふためいて混乱してよ…んだよそれ…平和とやらの為なら手前ぇの命すら屑かよ!何なんだよそれはよォ!!」
少女には分からなかった。
彼が怒っているというのは分かる。
多分、街の方で魔法を使っている人達を怒っているのも分かる。
でも、どうしてその怒りが起こるのかが分からない。
「何時もなら死にてえ奴はぶっ殺してやるんだが…ああもう面倒臭ぇなぁ!おいルセル。あんたそのナリ、聖職者だよな?」
「神官位はありませんけど聖職系魔術はひととおり使えます」
「ディスペルか魔封結界!」
「どちらもいけます」
「じゃあ魔封結界だ。あの辺一帯敷けるか?」
「範囲は大丈夫ですが…」
「距離のことは気にすんな。オレサマが埋める!」
「…わかりました。生成中の魔法の処理は任せます」
少女の疑問を取り残したまま場は進展していく。
姉も少年の言葉に疑問を挟まない。
「よっしゃ。やるぜ!ルセル、結界やってくれ」
姉はすっと目を伏せ、地に掌をかざす。紡がれるのはいつもより早口の祈祷文。
「我が守護の天使…御身は天主の御摂理によりて我が終生の友となり給えり。御身の尊き御保護と絶えざる御導きとを感謝し奉る。願わくは御身の強き御翼もて弱き我が霊魂を覆い危険を逸れしめ給え…」
姉を中心にかなり大規模な輝く魔方陣が広がる。魔力を発動の起点とする全ての技能の行使を不可能にする《魔封結界》。そこに少年が手を触れる。
「影よ…疾れ!」
言葉と共に彼の掌から真っ黒い闇が広がり、間もなく魔方陣を覆いつくす。闇が足元まで来たときはかなり恐かったが、特に何ということはなく闇は薄れて消えた。そこにさっき姉が展開した魔方陣はない。
代わりに街の方、魔術士達の集まるあたりが淡く青白く発光する。それは《魔封結界》の光…
「結界を…転送した?」
姉が驚愕を顕にする。
「発動した魔術の消失に加えて魔術効果の転送?…いえ、そもそも《魔封結界》内では魔力を行使すること自体不可能な筈…」
何かよく分からないが、凄いことをやったらしい。
それに答えるように少年が笑う。
「はっはっは-。まだまだ世の中にぁあんたらの識らねえこと、理解できねぇことが山ほどあるってこと…だッ!」
語尾に力を入れ、地につけていた手をすくうように振り上げる。
「砕けろッ!」
顔の高さあたりまで上げた手を、何かを握り潰すように閉じると同時、派手な爆音をあげて生成途中…とはいえ一人でやる魔術に比べれば相当大きな…火球が砕け散った。小さな火の粉となって夜を照らすその光景はなんとも幻想的だった。
「た-まや-」
「ぅん?た…たま?」
「オレサマがいた国じゃあ花火ん時にそういうんだよ」
「へぇ…た-まや-」
「まぁ、あの下は大パニックでしょうが」
「う…」
「い-んだい-んだ気にすんな。ちょいと火傷するだけさ。手前ぇの術に命吸われて死ぬよかよっぽどマシだろ。違うか?」
何気ない少年の言葉に姉の周囲の温度が下がる。
「そうですか。貴方は“死んだほうがまし"というほどの苦しみを知らないんですね」
「ああ知らないね。そんなもん知りたくもねぇ。死ぬ程度でどうこう出来るような苦しみくれぇなら生きて何とかしてみろや」
姉の冷たい目と少年の明らかに喧嘩腰の視線が交錯する。ついさっきまで協力してたと思うとすぐこれですか?
「お姉ちゃん。今喧嘩したって…ほらきみも!」
こういう時に理由がどうあれ“くだらない"という言葉は禁句である。自身の持論に誇りを持ち、おまけに頑固な人の場合、場を余計ややこしくするから。例えばこの姉のような…。
暫らくの無言の睨み合いの末、先に目を逸らしたのは珍しく姉のほう。
「そうね。こんなところで言い合いしててもね。…ごめんなさい、忘れてください」
「いいさ。多分、あんたの意見のが一般的なんだろ」
(仲直りした…のか…な?これわ…)
お互い、視線を外す。姉は言い足りない言葉を押さえ込むように。少年は興味を失ったように。激しく怪しいが、まぁ険悪な空気はなくなったのでよしとしておこう。
「ひぁ-疲れた。慣れねえことはするもんじゃねぇなぁ。姉ちゃん、こっちは暫らく大丈夫みたいだぞ。そっちはどうだい?」
「お待たせしましたね。ようやく繋がりました。間違ってもこちらに来ないでくださいね。一緒に食べられちゃいますよ」
その場に座り込んだ少年の問いに対する女性の声に僅かだが疲労の色が見えた。
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