「…宜しいのですか?」後ろに控える弟子の声。無言を以て先を促す。
「アルタイルのことです。いくら彼でも現在の魔宮は危険なのでは…」
「捨ておけ」言葉を遮り短く答える。
影の足止めが出来ただけで充分だ。それ以上奴に利用価値はない。
「しかし…彼の戦闘能力は特筆すべきものです。失うのは我々にとっても大きな痛手…」
尚も食い下がる声が途切れ、濡れた重いものが落ちる音がする。
「…ワシに必要なものは完璧な戦闘機械なのだ。人になったピノッキオに価値などない」
呟き、足を止める。ここにもひとつ、我が血肉となることを拒んだ愚かな操り人形がある。王立歌劇団の宿舎を見上げ、黒衣の魔術師は薄い笑みを浮かべた…

#35
《ヒトの世の夜
“和光同塵"》

(by 戯言士:皐月)

門の外に血塗れの肉塊を残して一歩、敷地に踏み込んだ体が僅かに強張る。門の外とは明らかに違う空気が流れているのだ。人の世には先ずありえない、重く、堅い空気。…それはむしろ、魔宮に顕れた、あの闇の使者達に近いものだった。
気配の主を探して辺りを見回して気付く。人影がないだけではない。その気配は、開かれた門扉の裏から…植木の葉陰から…建物の屋上から…敷地のありとあらゆるところから自分に向かって発せられているのだ。
と、背後にいっそう強い気配を感じて振り向く。
そこにあったのは先刻自分が通った門と、そこから延びる綺麗に舗装された道、そして血塗れの肉塊…。
「まさか栄えある街のただ中でこのような体験をするとはな…」
ぼそりと呟き、鼻をならす。屋敷の方に向き直り、今度こそ本気で体が硬直するのを感じる。扉の前の段差に、先程迄は絶対に存在しなかった筈の人影が腰掛けていた。
「我が塒に何用かな?」
それは立ち上がりながら、世間話でもするかのような口調でそうきりだしてきた。窓から漏れ出る光に反射して煌めく金髪と本来右眼のある筈の場所に嵌められた紅い輝きを発する結晶…その姿には見覚えがあった。
「これはこれは…こんなところで再び謁ることになろうとは思いませんでしたな…フォーマルハウト卿?」
彼がそう他人から呼ばれるのを嫌っているのを知っていて、わざとそう呼ぶ。呼称には皮肉を籠めたが言葉に偽りはない。
最後に彼と会ったのは13年前。最高傑作の完成を喜ぶ暇もなく国を追われた、その日であった。よもや彼の国より遠く離れ、彼の国と何の因果もないこの地で再開しようなど、誰が考えていただろうか。
シリウス「出来るなら二度と会いたくはなかったがな…」
彼…元西方王国王領地伯、シリウス・ヴェルハイム=フォーマルハウトは、その皮肉に取り合わず、昔と変わらず真意を掴みかねる口調でそう言ってきた。
まぁ、こちらも旧交を温める気は毛頭ない。
「こちらにワシの持ち物が運び込まれたと聞きましてな。受け取りにきた次第ですよ」
シリウス「ふむ…残念だが首を縦にはふれんな」
考えるような素振りも見せず、そう返してきた彼に
「何故…と尋ねても宜しいですかな?」
僅かな苛つきを覚えながらも尋ねる。
シリウス「彼女は逃げたのだろう?」
一時的にとはいえ、かつては自分と共に研究に携わっていた彼のその物言いに堪え切れず笑いが洩れる。
「“彼女"…彼女と?…ハハ。これは奇なことを仰る。アレはワシの“作品"ですよ。ワシの新たな血肉となるべき人形。ヒトではない」
シリウス「彼女は逃げてきた。自分の意志でだ。己の意志を以て己を動かせる…立派にヒトだよ。彼女も、アルトも」
そう、アルト…奴を動かす餌は完璧だった筈。戦闘能力を殆ど持たないあれを仕留め損なうとは…
「アルタイルが失敗りさえしなければ…っ」
苛だちがつのり思わず口に出して吐き捨てたその言葉に彼が反応する。
シリウス「それが解らんのだが…アルトを唆し、影の守護者を敵にして、お前は一体何を求める?」
この男は…今更何を?
「ヒトを越えし存在の国を、と以前申し上げたでしょう? 力を持たない蛆虫共に世を統べる権利などない!ましてや我等を断ずる資格などっ!」
怒りがふつふつとこみあげてくる。自分がこの道を歩むこととなった原因…《ヒトに過ぎたる力を持つ》というだけで尽くしてきた国に裏切られ、命を断たれたひとりの人間の姿が脳裏に浮かぶ。
シリウス「アルトはその尖兵か」
首を横に振る。
「ワシが望むものは新たな体と、最高傑作…《神意の人形使い》のみ。残念ですが我が意に添わぬ兵を再調整する暇はないのですよ」
シリウス「なるほど…やはりここを退く訳にはいかんな」
その答えは予想していた。行動を阻害するものは排除するのみ。屋敷の中にいる“作品"ももろともに吹き飛ばしてしまうだろうが仕方ない。無駄な労力を割くことにはなるが、また創造れば良いだけのことだ。今度は自我などという無駄なものが生まれぬよう…
「残念ですな。ワシに劣らず永き時を生きる卿となら、と思ったのですがな…」
大規模崩壊の魔術構成を編む…シリウスはそれを目の前にしても無言で動かない。冗談だとでも思っているのか? 見下されたものだ。
と、その時…
「あの…」
シリウスの背後の扉が開き少女が姿を現わした。その顔を見た瞬間、驚愕のあまり集中が乱れる。脳裏に残る幻影と目の前の少女が被って見える。そんな馬鹿な…何故、ここに? 頭を振り、もう一度見る。顔が似ている訳ではない。髪が同じ色な訳でもない。しかしこの身に纏う雰囲気は…無関係の別人が同じ魂のカタチを持ちえるものなのか…。あまりの衝撃に周囲への注意を怠っていた。いきなり背後から声が掛かる。
「ぃょぅ爺い。また会ったな」
慌てて背後を振り返る。門柱の上に座る影…。
「くぅっ」
相手を見て顔が歪む。厄介事というのはどうしてこうも重なるものなのか。ぎり…と無意識に歯を噛み締める。負ける気はしない。が、この二人を相手にどう安く見積もっても只で済むとは考えない方が良いだろう。ここは…
「退かせて貰いましょうか…まだ蹉く訳にはいきませんからな」
退くしかあるまい。面子や意地、そんなものの為に今こいつらと戦ったところで無意味だ。人形の奪還なり処分なりは後でもできよう。目的を取り違えるな…そう自分に言い聞かせ、使い慣れた転移の術を発動する。視界が揺らぎ、ほどなく王劇宿舎の…その前に姿勢すら変えず立っていた男の姿が消えた。

―――――
シリウス「昔日の情を捨て切れぬ…どう足掻いたところでお前もヒトだということだ」
そう言いながら扉から顔を出した少女…ターマラをみつめる。
ターマラ「…あの…なにが?」
一体何が起こっているか解らず、きょとんとしていた。彼女のこんな顔を見れるとはな…シリウスは微笑み、答える。
シリウス「いや…なんでもないよ。昔の知り合いが顔を出してくれただけだ。まだ外は危ない。中に入っていなさい」
優しく、が、半ば強引に扉に押し込めて門柱を振り返る。
シリウス「さて…」
そこには変わらず例の人影が蹲っていた。
シリウス「君は此処に何用かな?」
「アンタ、女は…」
影はそう言いつつ跳び、目の前に着地、シリウスを見て…訝しげに目を細める。
「いる…って…アンタ、ヒトか?」
一瞬の間の後、お互い失笑を洩らす。
「いや、悪い。…俺ぁロン。今日付けで此処に厄介になることになってる。んで、ついでに」
懐を探り、ひとつの輝石を取り出した。
ロン「こ-ゆうモンだ」《ウルの輝石》…《守護者》か。
シリウス「なるほど。が、あまりそれを簡単に見せて回るのは感心しないな」
ロンはにやりと笑う。
ロン「普通の奴にゃこれが何なのかすら解らないさ。それに、アンタには隠してたところで直ぐばれそうな気がするしな…ええと、フォーマルハウト卿?」
全く…この男は何時から先刻のやりとりを見ていたのだろうな。
シリウス「シリウス・ヴェルハイムだ。…他の《守護者》は皆戦っているよ。君はどうする?」
ロン「ん。まあ何だ、アレだ。奴等のお手並拝見、ってな。アンタこそどうするよ?」
シリウス「私も似たようなものだよ」
ヒトの世を揺るがしかねない力を内に秘めた二人の超人は、揃って今も激戦が続いているであろう魔宮に視線を向けた。

―――――
三分後…
ロン「なあ、ちょいと本気で戦りあったりしてみねえか?暇潰しにはなるだろ?」
シリウス「来た早々、暇と一緒に街を潰す積もりかね君は…」

第36
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