#36《彷徨う力》

(by 戯言士:皐月)

断末魔を残し、また一体、魔物が地に倒れる。これで何体片付けたか…もう数える気も失せた。
魔宮出現の影響は街の破壊だけにとどまらず、無尽蔵にばら撒かれ続ける瘴気に引き寄せられるように押し寄せる魔物が引き起こす被害も無視できないものになっていた。王宮からも多数の兵力が出ているものの、被害の数と規模が大きすぎて主要な施設や門を防衛するので手いっぱいという状態らしい。
空間断裂のために陽炎のように揺らめいて見える魔宮を一瞥し、立ち去ろうとしたスィンの足下の地面がごぼりと盛り上がる。
咄嗟に退いた彼の眼前に地を割って現れたのは、地面から出ている部分だけでも5メ-トルはあろうかという砂蟲だった。殆ど見えないと言われる砂蟲の複数の眼が遥か下のスィンを捉える。
地中を高速で移動する砂蟲は、退化した視力の替わりに地に伝わる僅かな振動を全身で感知する優れた感覚器官をを有する。それに見つかった以上、撤退は非現実的な選択である。
頭部を花弁のように開いて吐き出された高速の砂鉄砲を横に飛んで回避し、その開いた口に向かって改造自動弓を三連射。矢は狙いを寸分違わず砂蟲の口内に吸い込まれ…ぱきんと乾いた音を立てて砕け散った。
食糧が慢性的に不足する地方を主な棲息地とするこの生物は、同族の死骸を餌とすることでも知られる。王国近衛隊が制式採用している硬合金製の重板金鎧よりも堅牢だと言われるその甲殻の破片を呑み込んでも傷つかない咽喉の肉を破るには、彼の放った矢は力不足であったようだ。
僅かに眉をしかめ、短剣を抜く。再度吐かれた砂鉄砲を前に跳んで躱し、比較的脆いと思われる甲殻同士の隙間を狙って刄を差し込むが、それもあっさりと弾かれた。
スィンの用いる短剣はソ-ドブレイカ-。読んで字の如く、相手の剣を受け、砕き、封じる為の、いわば攻撃力は二の次の防御的なものである。一般的なそれよりも強度、切れ味共に優れているのは確かだが、それでもこの敵を相手にするには心許ない。今更、鎧通し(スティレット)でも持っていれば…などと考えてもどうしようもない。
舌打ちして、たった数度の斬撃で少し欠けてしまった短剣を仕舞い、再び自動弓を取り出すと、装着してあった弾倉を取り外す。代わりに取り出したのは一本の矢。その矢の先には鏃ではなく、球状の塊が据えられていた。
頭上から降り注ぐ砂鉄砲や頭突きを躱しながらそれを装填する。
かちり、という音がして弦がロックされる。砂鉄砲を射線に潜り込むように大きく前に跳んで避けて距離を詰め、自動弓を構える。チャンスは一度。失敗は許されない。
…高いから。
この砂蟲の行動パタ-ンは読めていた。

攻撃力や防御力といったものを数値化するとしたら、この生物のそれは全生物の中でもそれなりのところに位置するだろう。彼らが棲息する、生物も少ない荒野で彼らに勝る生物は居るまい。
しかし、競争相手を失った技術、能力は劣化する。それは決して種族を限定したものではない。全ての生物に…植物であってでもあてはまることなのだ。
彼らの場合のそれは戦闘に関する技術。
如何に戦闘に有利な身体的特徴を持とうと、こう行動パタ-ンが単純では…。
この固体の場合なら中遠距離では高速の砂鉄砲の牽制で足止めしつつ接近、もしくは、それを嫌って間合いの内側に入ってきた相手を幾つにも開く鋭い顎とそこに無数に生える必殺の牙で仕留める、というもの。

これしか知らない。これしか出来ない。確かに圧倒的な力の差で相手を押し潰すならその単純なロジックでも全く問題ないのだろう。
しかし、ここは手前等の棲んでる荒野とは違う。そのことを身をもって知るといい。

がばり、と口を展開し、動きを止めた獲物を丸呑みにせんと真直ぐに襲い掛かってきた。
ぎりぎりまで引き付けて口の中に矢を撃ち込むと同時に、身を投げるように横に跳び、地に伏せる。
がぢん、と重い音とともに顎が閉じられる。獲物が逃げたことを感じた砂蟲が再び頭をもたげようとした時、それは起こった。砂蟲の口の端々から鋭い閃光が漏れたかと思った瞬間、身体が一瞬にして膨れ上がり、爆散した。
クレ-タ-の中心で爆煙と爆炎がくすぶり、砂蟲の鋼鉄の如き外殻の破片と異臭を放つ体液の雨が降る中、ゆっくりと起き上がる。
先刻の爆発は当然、彼の仕業である。種は鋭い鏃の代わりに取り付けられていたもの。これには数種の薬品が仕込まれており、弾頭部に一定以上の衝撃が加わると、強烈な光と熱、衝撃を伴う膨張現象を起こす。つまり、爆薬である。
主に使っている薬品そのものは何のことはない、園芸で用いるものである。この薬品、一般にはあまり知られていないが二百度程度に加熱すると爆発するという特徴を持つ。これにある程度の衝撃で破損する容器に入れた、混合することで瞬時に高熱を発する数種の薬品と、爆発の際の熱量を増加させる薬品を少々配置して造るのだが、これが単価が妙に高くつく原因になっているのである。
火薬を用いれば確かに比較的安価にかつ安定した威力の確保が出来る。現在使用している弾頭は、薬品同士の反応を利用しているものである為、爆発するのに僅かとはいえタイムラグがあるのだが、それも解消できる。しかし一般家庭でも用いられることもある上記の薬品群と違って火薬は入手経路や用途が限定される為、何かあった際に足がつきやすい。(園芸用のその薬品も、一部の地域では劇物指定され、購入に身分証明書の提示を求められるのだが、この国ではそういう認識はないようだ)
仕事用のポ-カ-フェイスの下で少々泣きそうになりながら、自動弓に再び弾倉を装着する。
戦闘が終わり静かになると、遠くの声が微かに聞こえてくる。悲鳴や怒号に混じって気になる事が耳に入った。どうやら街の正門に魔術士隊が集められているようなのだ。兵士や騎士の派遣ならまだしも魔術士を総動員とはただ事ではない。様子を見に行ってみるか…誤魔化しても仕方ないので白状する。油断していた。
一匹倒したからといって、もう居ないなどという保証などなかったのだ。
路地の角を曲がったそこに居たのは、仕留めた騎士に群がり、鎧ごと租借している砂蟲“達"だった。
その数、三。その全てが足音に反応するようにこちらに血と肉に汚れた頭を向ける。
市街地で大型生物を複数同時に相手にするなどという状況など想定外である。爆裂矢も単体相対時の奥の手であって、相手がこう多いと使えたものではない。

セイギノミカタ気取りなんて柄にもないことやったツケにしても少々高すぎやしないか?
そんな意味のない思考を断ち切ったのは上から降ってきた声だった。
「兄ちゃん避けてよ!っっけぇぇぇ!」
裂帛の気合いと共に、砂蟲の中心に黒い球体が出現、大きく膨張をはじめた。
それに引きずり込まれそうになるのを必死で耐える。辺りに散乱する瓦礫や燻る煙と炎が相当な勢いで吸い込まれていく…。その球体に触れてしまった袖の端は音もなく消滅してしまっていた。
「ぐ-っどたいみん♪ひ-ろ-は遅れて登場するんだよ!」
そんな台詞と共にスィンの傍らに軽快に降り立ったのは
「…ニコ」
反射的に構えるが、自分が彼等と相対する理由が失われたこと、相手にこちらに向ける敵意が欠片もない事に気付き、手を下ろす。
「やほ。シリウスのおっちゃんから聞いたよ?もう戦わなくていいんだってね?」
その通りだが、何故それをシリウスが知り得るのか…甚だ謎だ。
「謎にしといた方がいいと思うよ。長生きしたかったらね…ほい」
ついでとばかりの軽い掛け声でぱちんと指を鳴らすと、黒い球体が一瞬で収縮し消滅する。そこには何も残ってはいなかった。狂暴な砂蟲も食い荒らされた騎士の死体も瓦礫も…

ニコが継承した秘石の属性は《闇》。
光さえも呑み込んで放さない《事象の地平面》を生成し、あらゆるものを吸い込むという能力を持つ。
これはケイの能力のように亜空間への扉を開くものではなく、限りなく圧縮された物質の生み出す無限質量に依る引力を利用したものである。それゆえ、理論上は指先大にこれを発生させるだけで世界そのものがこれに向かって“落ちてくる"。そうならずに効果が一定区域に限定されて発動するのは秘石の力である、ということは彼等の知るところの外である。
「悪いな、助かった。しかし…怪我の方は大丈夫なのか?」
「うん。何ともないよ」
「結構派手にやられたと聞いたが?」
戦果に満足げに頷いていたニコは、その表情を少し訝しげに歪めた。
「なんだよね。血だくだく出てたし。全然体動かなかったし。でも、不思議に少し休んだら血も痛みも嘘みたいに止まってるんだ、これが」
「…ちょっと見せてみろ」
ニコの腕の傷を見て、すぐ違和感に気付いた。
これは“殺す"為の攻撃ではなく、運動能力を奪う為だけに放たれたものだ。運動を司る筋や腱、その周辺の血管を正確に必要最小限だけ撃ち貫いている。確かにこれなら一時的に運動能力の大幅な低下や著しい出血は起こるものの、適切に処置すれば短期間で快癒するだろう。回復能力を持つニコなら尚更だ。
殺害目的の攻撃が外れてたまたまこうなった、などというものではない。人体構造を熟知している者が明確な意志のもとで行ったことに違いない。
そこにまた疑問が浮かぶ。
ニコの治癒能力を読み違えていた?否、それはないだろう。聞いた話だと彼と対峙したのはアルトだ。アルトの言動を見るかぎり、今回のミッション上相対する立場にある《ウルの影》は彼にとって明確な“敵"である筈。正直、奴が敵に情けをかけるなどと到底思えない。つまり、殺されていてもおかしくなかったのだ。
特に今回。無感情無表情で仕事をこなす何時ものアルトからは想像できない、何かに対する異様な情念のようなものが感じられたが…

「そそ、ここ来る途中で変な話きいたんだよ。何か正門の方に軍隊とか傭兵とかの魔術士がみんな集められてるとか」
「…ああ、それは俺も聞いた話だ」
「じゃあこれは?アルト兄ちゃんっぽい人が魔物狩りながらそっちに向かってるらしいって」
「なんだと?」
傷口に見入っていた顔を思わず上げる。笑えない冗談かと思ったが、彼の顔はいたって大真面目。本当にそういう話があるらしい…
流石に訳が分からなさすぎる。奴を捕まえて問い詰めないと気が済まない。
「…行ってくるか」
「うん、一緒にいこう!」
独り言に返ってきた返事に本気で正気を疑う。日頃歌劇団で馴れ合っているからと言って、ついさっきまで敵対していた相手と行動を共にしようなどと思うか?普通。
「別にいいんだよ。理由とかなんとかは。ぼくはさ、兄ちゃんらと争わなくていいってことが嬉しいんだ」
意志は大事だ。ひとは意志を以て結果を成す。
ニコは“戦う必要がなくなった"という結果を素直に喜び、それを導いたスィンの意志を欠片も疑ってはいない。
それは深遠なる思考の賜物なのか、それとも単に何も考えてないだけなのか…。
どちらにしても、スィンにとってこの意見は驚嘆すべきものだった。まさかこんな考えがあるとは思いもしなかったから。自分がニコの立場なら、先ず真偽を疑うだろう。心変わりの理由を厳しく問い詰めるだろう。意志の確認なしには結果を信じることなど出来ない。笑うしかなかった。
殺しても漏れ出る笑いにつられるようにニコもけたけたと笑う。
ひとしきり笑い終えたところで顔を見合わせた。すぐにニコのような考え方は出来ないだろう。だが、今回は自分を信じたニコの、その意志が導く場所が明るいものであることを信じることにする。
「なら、いくか」
スィンの突き出した拳にニコは笑顔で己の拳をあてる。
「うん!」
目指すは正門。
何か善からぬ事が起きているらしき場所。
そして、アルトらしき人物が向かったという場所…

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