#37
《THE Magius mirror》

(by 戯言士:皐月)

「ここで少し待っててくれるかな?」
先程助けた若い夫婦にそう言って、青年は大通りで兵士達と戦闘している魔物の集団に向かって無造作に歩を進める。
「君!こっちは危険だ!」
それに気付いた兵士のひとりが制止の声をあげるのにも構わず、歩きながら口の中で呪文を紡ぐ。
「アクセス…“ウィザ-ズスペル"。ロ-ド…《空間爆砕》…」
前方で戦闘している兵士達のうち、前衛の数人が倒れる。指揮官らしき者が、すぐさま後衛の支援砲撃のもと一時距離をとるように指示した。
相手にしているのは赤銅の皮膚と屈強な筋肉に身を包んだ巨鬼の群れ。体力と馬鹿力だけが取り柄の下級種であるが、正規兵とはいえ一般兵士への支給品程度の装備で相手をするのは骨だろう。無理な攻撃を続けず、一時退避を選択したのは懸命な判断だ。但し、それが愚鈍な巨鬼のみだったのなら、だが。
まあ、いい。兵士達が退いてくれたのは好都合。別に巻き込んだところで青年自身は痛くも痒くもないのだが、今回ばかりは都合が悪い。そういう“役割"なのだ。歩を緩めず右手を正面にかざす。
「エンゲ-ジ!」
読み出した術式は、一般的に“魔法"と呼ばれ広く流布している、ある程度の適性と実力、知識さえあれば誰でも使える技術の中では上位に位置する攻性術。声に従い起動したそれは、魔物達のいる空間一帯に大爆発をまき起こす。弾ける爆炎とそれに伴う衝撃波で道沿いに放置された露店が多数巻き込まれたが、諦めてもらおう。

上記の説明は決して否定的な意味合いは持たない。
使い手が多く、研究し尽くされ、広く流布している技術というのは、それだけ信頼性に優れる、という意味でもある。長年の研究により簡潔になった術式は、その起動に於いて“スピ-ド"という優位性を使用者にもたらす。初手に全力の一撃での殲滅を目指すばかりが戦いではない、ということだ。

おお、と兵士の中から感嘆の声があがる。
だが、まだ。
爆発の中から数体の魔物の影が浮かび上がる。今の一撃で先ずは三匹。やはり、それなりの防御術を使えるやつが混ざっていたらしい。とは言っても、人間でも防げるものなのだからそれほど驚くことでもないが。
兵士達が慌てて態勢を立て直すより早く、青年は駆け出した。右手の中指に指輪をはめつつ呪文の詠唱に入る。
「アクセス…“666/アルタイル"。ロ-ド…《因果転換》…」
指揮官が命令を発するより早く、兵士達の頭上を飛び越えて魔物の生き残りに接近。手近な巨鬼がこちらに注意を向けるより早く、右手に込めた魔導式を解放する。
「エンゲ-ジ!」
言葉とともに放たれたのは一本の鋼糸。狙いは近くの巨鬼…ではなく、その奥にいる、灰色をしたぼろぼろの術衣を纏った姿の屍鬼。先刻の防御術の主である。
攻撃の気配を捉えたのだろう、屍鬼が魔力を編みはじめる。
鋼糸が届くより一瞬早く、屍鬼の術が完成し、自身を護る光の盾が発生する。
鋼糸は…
そこに何もないかのように光の盾を通り抜け、屍鬼の首を斬り落とした。制御者を失った盾が虚しく霧散する。
そう、それは光の盾を「衝き崩した」のでも「中和した」のでもない。「通り抜けた」のだ。まるでそこに魔力の盾などなかったかのように……
否。無かったのだ。鋼糸にとっては…青年の放った魔術にとっては、屍鬼が生んだ盾などは「存在しなかった」原因と結果。その双方の繋がりと、前者が後者を生ずるという一方的な流れが世界の理である。
それを逆転させれば、どうなるか。
札は配られた後に切られ、罰を受けた後に人は罪を犯す。
そして刄は、対象の息の根を止めた後に対象に到達する。
結果の後に原因を求める。
《因果の逆転》
術を乗せた鋼糸が放たれた瞬間、結果が…屍鬼の首が落ちることが確定した。結果が存在してしまった以上、世界はその原因を求める。鋼糸は「屍鬼の首が落ちた」原因たる為、それを遮る者がない空間を疾ったのだ。
故に、青年の術が放たれ、鋼糸が疾った後の空間に屍鬼が盾を置こうとそれは後の祭り、というもの。死神の鎌は既に獲物の首に巻き付いていたのだから。
発動させた瞬間に対象を逃れられない死へ導くこの術式は、太古の異教の神話に登場する《隻眼の魔術師》の持つ、決して狙いの外れることのない神槍の名を取って、こう名付けられている。
《グングニ-ル》と。実際に、現実に起こった順番は全く違う。全ては無理矢理な“こじつけ"に見えるだろう。しかし、世界はその“こじつけ"の法則を、その時だけはそれが当然として受け入れてしまう。
世界が見る泡沫の夢。
術者が希う夢の世界の発現。
“魔法"と呼び習わされる技術とは全く異なる体系。
それを発見した魔術師は、幾度も夢の世界を冒険した童話の主人公の名を取り、《アリス・エフェクト》と名付けた。巨鬼が、すぐ目の前にいた、謎の行動で屍鬼を屠った青年にその岩石のような拳を打ち下ろそうと振りかぶる。
それに対する青年の反応は小さかった。突き出したままの右手を戻し、くいっと中指を曲げる。
それだけで引き戻されていた鋼糸の軌道が変化する。鋼糸は巨鬼の振り上げていた腕を、首や胸部と一緒に撥ね飛ばした。
しゅうしゅうと冗談のように血を吹き出しながら、上半身の三分の一を失った巨大な死体が、ずぅん、と地響きを立てて倒れる。
青年が兵士達の頭上を飛び越えてここまで、僅か数秒の出来事。あまりに意表を衝いた事態の連続に魔物の生き残りにも、兵士達にも混乱が広がる。
それを断ち切ったのは兵士達の指揮官だった。
彼の命令の下、即座に統率を回復した魔術士達が、残った数体の巨鬼に向けて幾つもの火炎弾の魔法をたたき込む。弱ったところへ数人一組による接近戦。懐深くへは入り込まず数を利用した一撃離脱戦法で確実に敵を減らしていく。
「…へぇ、凄いね」
「それは嫌味の類かな」
青年の呟きに応えたのは指揮官だった。鋭く、力強いが威圧感よりも包容力を感じられる眼光と、丁寧に整えられた髭が特徴的な四、五十歳程度の男だ。改めて見ると、装備品の材質や装飾等、彼が一般兵士とは一線を画す立場にいる人物であることが見てとれる。そんな彼の声は、皮肉めいた言葉と裏腹に非難の色のない明るいものだった。
「いえ、優秀だなって。流石に正規軍は訓練が行き届いてますね。なによりも指揮官が冷静です」
青年は全く虚飾のない、彼自身が感じたままの言葉を並べる。
「ははは。国の、民の、剣であり盾である我々だ。あのような輩に好きにさせる訳にはいかんよ。…と言いたいところだがね、正直、君が突破口を作ってくれなければどうなっていたことか…助かったよ」
そこへ一人の兵士が帰ってくる。最初に青年に警告を発した兵士だ。軽板金の胸鎧の上に術衣を纏った魔術兵。彼がこの部隊の副長らしい。指揮官への報告を聞くと、どうやら残った巨鬼の殲滅に成功したようだ。
「よし、わかった。戦闘に支障のある負傷者は後方へ。残りの者で付近の索敵に当たる」
「了解。では…」
「あ。ちょっといいですか?」
呼び止めた青年の声に、こちらを背にしていた副長が振り返る。指揮官も青年の次の言葉を待っているようだ。
「ここに来る途中に助けた人がいるんですよ、ほら、あそこに」
指を差した方にはガクガク震えて縮こまる男性とそれを抱き締め励ます女性の姿。
…今のは見なかったことにしよう的空気が流れる…。
「で、あの人達に護衛をつけてあげて欲しいんです。歌劇団まで」
「えっ?市民の護衛はわかるけど、歌劇団まで?城じゃないのかい?」
聞き返してきた副長に指揮官から答えが返る。
「ふむ。ここからなら無理に城まで行くよりも歌劇団の方が近いな。確か宿舎の地下が避難施設になるんだったかな…」
「ええ。怪我してる兵士の人も一緒に。結構本格的な治療も出来るかと」
考えこむような姿勢を見せた指揮官だったが、答えはすぐに出た。
「うむ。全員、聞け。今より我々は保護した市民の護衛と負傷兵の移送を兼ねて王立歌劇団宿舎に向かう。当初の任務と違うが全責任は私が持つ。近くの者は負傷者に肩を貸してやれ。手の空いている者は市民の安全確保を最優先。以上、行動開始!」
命令を発し、改めて青年に向き直り尋ねる。
「君はどうする?一緒に行くかね」
青年は首を横にふる。
「いえ、僕はまだ用事があるので…。正門の方に」
「そう、か。あちらで何やら大きな動きがあったらしいからな、気を付けるといい。重ねて言おう。助かったよ、ありがとう。機会があればまた会おう」
軽い敬礼のような動作をして、指揮官は颯爽と立ち去った。それを追って残りの兵士達も青年に向かって口々に挨拶や礼を言いながら去っていく。
「私からもお礼を言わせてください。助かりました」
言いながら副長は丁寧に頭を下げる。
「いえ、僕こそ。折角の警告を無視してしまって」
本当に申し訳なさそうな青年の表情と言葉に副長は苦笑する。
「まあ、確かに軍の面子に拘り過ぎるあまり、民間の協力を快く思わない人も少なくはありませんが…隊長の言ったとおり、我々が貴方の介入で助かったのは間違いないことです」
「今にも飛び出していきそうでしたしね、隊長さん。怪我してるのに」
その言葉に副長は驚いて目を見開く。
「解るのですか?はは。普段は優秀で賢明な方なのですけどね、逆境に立つと熱くなりすぎるんです…おっと、すみません無駄話で引き止めてしまって」
「いえ、隊長さんにも養生して貰ってくださいね」
「それを見越した上での護衛でしたか。凄い人だ。それでは貴方もお気を付けて。何時か魔術論でもご講義頂きたいものです。アルト・ライアートさん」
副長も皆を追って立ち去る。青年はその場で立ち止まったまま記憶を探りながら「ぁ-」とか「ぅ-」とか唸りつつ銀色の髪を掻いていたが、はっと何事か思い至った瞬間、頭を抱えて蹲ってしまう。
「やっちゃった…」
というか、やりすぎた。
今回の彼の役目は“民間人"だというのに…。
「ん…諦めよう」
問題を丸投げしてあっさり立ち直る。もう爽快なほどに。今はとても気分が良かった。
とてもいい人達に会えたから。
「さ…て。仕事の続き続き、と」
足取りも軽く青年は街の正門に向けて歩みはじめた。―――
道中で遭遇した、若い夫婦を連れた王国兵の、ついさっき彼に会ったという情報を受けて急いで正門に到達したスィンとニコは、門の外に物々しく隊列を組む大勢の魔術士達に、事態が想像以上であることを実感した。
「あ、あれ!」
ニコが指差したのは彼等の頭上、門の脇に設置されている物見台の上である。
そこに見えるのは張り詰めた空気の中、さらさらと微風に揺れる銀髪。面白そうに街の外を眺める赤い瞳…
「野郎ぉ…!」
頭に血を昇らせたスィンはニコの微妙な表情の変化に気付かぬまま家屋の屋根から物見台へ飛び上がる。
「………ぁれ?」
物見台の青年を見たとき感じた違和感。その正体を理解できず僅かに表情をくもらせたまま、ニコもその後を追った。

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