窓から差し込む朝日で目を覚ます。夜にぐっすりと眠ることに慣れたのは何時の頃からだっただろう…
《Dissonance#2》
(by 戯言士:皐月)
扉を開き広間に入る。
「おはようございます」
「…ん…ああ」
一度寝ると朝調子を取り戻すのに暫らく時間がかかる。どうやら低血圧というものらしい。こんなのでよく今まで生き残ってこれたものだ、などとそんな事を悠長に考えられる生活も悪くない。
「今日はちょっと村まで荷物を受け取りに行ってきますね」
そう言いながら差し出されたカップを受け取り、口をつける。最初の朝にこれを出された時から感想は変わらない。甘い。物凄く甘い。ここに根を下ろすまでコ-ヒ-などという嗜好品を殆ど口にしたことはないが、こんな味のものではない筈だ、多分。ましてや“眠気ざまし"にするなら濃いめの無糖なのではないか?よく知らないけど。それでも飲めるのは慣れか、それとも本来自分は甘いものが好きなのか。
「手伝いは?」
「助かります」
「了解…セラは…」
最初こそ呼ばれても自分のことだと自覚すら出来なかったが、“アルト"“セレスティ"という名前も最近ようやく慣れてきた。
隣に目をやると、名前を呼ばれたにも拘らずこちらに目を向けようともせずに黙々と食事をする少女の姿があった。その視線は食器を扱う手元に目もくれず、人を殴殺出来そうな程に分厚い古そうな異国の書物に釘付けになっていた。
その癖手元は危なげなく、パンの一片すら溢さない。
パン屑の代わりとばかりに机に広がるのは不思議な手触りをした真白い紙。ここ数日、この紙を切り刻む時と風呂と寝る時以外に彼女が本から目を離したのを見たことがないように思う。
先日こっそりピ-マンを彼女の皿に移したら、やっぱり視線も動かさず即座にこちらの皿に戻してきた時は驚いた。
ふと気付く。散々に切り刻まれ殆ど塵屑も同然のその中に、ひとつだけ形を整えられたものがあったのだ。それにだけ何やら文字とも図形ともつかぬものが書き込まれ、その紙の形は人を模しているように見える。
「お守りみたいなものですよ。効き目は抜群です…セラちゃんが造れば」
それを眺める視線が興味深そうに見えたのか、フィ-アが説明してくれた。ぼそりと付け足された最後の一言がやけに耳に残ったが、魔術的な相性とかそういったもののことだろう。
「じゃあ、留守番、頼めるか?」
と、セラが目を本から外し、こちらを見てきた。この脳が無理矢理外に繋がれる感覚は…
「…お土産?紙の追加と新しい本…キ…タブア…ルア…ジフ?何だ?」
本の名前なのだろうか?聞いたことのない文字列が頭に浮かぶ。記憶を探ろうとセラからの思念を声に出してみたが、やはり記憶にもない。
「はい、先週言ってたやつですね?紙は多分今日届いていると思いますが…本は待って貰うことになると思います。そんな簡単に見つかるものではないですよ」
外見は普通なこの小屋だが実は地下に書庫などを持っていたりする。神話、宗教、魔術で占められた蔵書は数こそ多くはないが、驚くのはその内容。現在の神話体系が確立する遥か以前のものや、独特の宗教を持つ最果ての島国の書、えとせとらえとせとら。これまで身を置いていた場所が場所だけに、奇書妖書の類は見慣れている俺ですらその異質さに思わず絶句したほどだ。
そんな此処にすら存在しない本とは一体…
「?稀覯本の類なのか?」
「宗教整理前の本ですね。創世神も裸足で逃げ出す逸品のひとつです。見つかれば即焚書。所持を教会にばれたら断頭台まっしぐら…どころか笑顔で一家断絶ですね(はぁと」
「……」
そんなものを所望する我が姫君もだが、ろくでもないことをさらりと言ってのけるこの少女も大概に大物ではないかと思えてくる。
どれほども時間を要しない会話の終わらぬうちに、セラはその視線を本に落としていた。
「さて、行きましょうか」この小屋の周囲の森は外部からの侵入を阻止する“遁甲結界"によって妙な感じに空間が歪曲している。
(俺達が辿り着いた時は本気で驚いたらしい。普通なら“偶然迷い込む"ということは起こらないし、無意識にでも結界に魔力干渉を行うと彼女が知覚出来るということだ)
故に森の南に位置する村に向かうのに先ず北へ向かい、それから東、更に…と進む必要があった。
途中、木の根に隠れるように石の楔がいくつか穿たれているのを見かけた。フィ-アによると、それこそがこの結界を形作る基石であるらしい。本物はそのうち三割ほどで、残りはダミ-。ダミ-を抜こうとすると周囲2メ-トル程に真空の竜巻を撒き散らす魔法の品だが、一般成人男性程度の腕力で抜けるようなやわなものでもないということだ。まったく物騒なことこのうえない。などと解説を受けているうちに村に到着した。開拓してさほど時を経ていない村であるらしい。山間の小村特有の閉塞感はなく明らかに外の人間である自分にも比較的好意的に接してくれた。
この村唯一の酒場に定期的に運び屋が訪れるということで、そこへ向かう。酒場がまぁ当然の如く村人の溜り場と化していたお陰で目的の人物はすぐに見つかった。
質素だが丈夫そうな旅装に青い頭髪が何ともミスマッチな男。年齢は俺と同じくらいであろうか…。彼はこちら(というかフィ-ア)を見つけると片手を挙げ、爽やかな笑顔で近付…く途中で俺を見止め固まってこう宣った。
「ああ…フィ-アさんに毒虫がついた」
「あはは-。アルトくんは私の新しい家族ですよ-」
「!!?」
誤解してくれとばかりの端折りよう。最悪だ。この娘…まさかわざとか?矢張りというか何と言うか、運び屋の彼は右手で目を覆い、芝居でもするように手近な椅子によろよろと崩れ落ちた。
「ああ…何ということだ…世界の損失だ…あと10年もすれば…(以下略」
こういう手合いはどう対処すれば良いかよく解らない…が放っておいてもど-も話が進みそうにないので隣で先刻から“にへら-"としている少女に声をかけることにした。
「で…荷物は?」
「あっと…忘れてました」
「をひ」
それが聞こえたのか、ぶつぶつやっていた彼がぴたりと独り言を止めて背負い鞄を二つほど机に乗せた。
「何時もの生活雑貨は頼まれた通り二倍に増量。あとこっちが東方の護符に使う浄化済の聖紙ね」
自給自足も限界がある。外から買う方が容易な物品や魔術関係の品、書籍類、生活雑貨は彼がこうやって定期的に持ってきてくれるらしい。
「それから…フィ-アちゃん、ちょっと…」
言葉の途中でちらりとこちらを伺い、フィ-アを手招きして建物の外に出ていった。
「失礼しますね」
先刻までのにへら笑いはどこへやら、真面目な顔に戻りそれを追うフィ-ア。
こちらには聞かれたくない話だろうか?…だが不運なことに俺にはこの程度の距離をとった内緒話は易々と聞こえてしまうのだ。暫らくして、最大限に声を押し殺したと思われる会話が聞こえてくる。
「仕事だからね、依頼の薬草と薬、一応全部揃えてきたけど…前にも言ったよね?アレ、本気やばいよ?何に使うのさ?」
「一流の運び屋さんは依頼主のすること詮索しないんじゃなかったんですか?」
「他の人ならしないさ。君だから心配してるんだよ…まさか、あの男か?」
「…あは-」
「…ちっ!銀髪の野郎ってぇのはロクなことしやがらねぇ…シスコンの腐れ傭兵野郎だけで充分だっての!」
「偏見いくないです」
「…いやまぁ今のは冗談だとしても、だ。ほんと、あんまり危ないことしちゃ駄目だよ?」
「自分が出来ることと出来ないことの区別くらいつきますよ」
「いや、相当危ない橋を目隠し高速バックダッシュで渡っているように見える」
「破滅願望はない積もりですよ。それに私、デファンスさんより強いですし」
「!俺は真面目にっ!」
「…試してみますか?」
何時もとさほど変わらぬ調子のその言葉を聞いた瞬間、ぞくりと悪寒が身体を駆け巡る。忘れようがない…これは殺気!?
殺気に敏感な獣達が一斉に騒ぎだし外が軽いパニックに陥る中、俺は彼等に更に意識を集中させる。
放たれた位置と距離、それに先刻の話の流れ…まさかこの殺気をフィ-アが?そんな疑念が過ったことに起因する無自覚の行為だった。
「………」
勘違いだと思いたいが、壁の向こうの運び屋の彼の発する驚愕と動揺の交ざった気配からして、どうやら間違いないらしい。
「…なんて言ったらどうしますか?」
やたらと明るい声と共に殺気が嘘のように消え去る。
体格に見合わぬ強靱さ、ぽろりと零す俺達のことを何か識っているとしか思えないような発言、更に今の殺気。ただ見た目どおりの少女でないとは前々から思っていたが…それでも深く追求することはひどく躊躇われた。そうしたら今が全部壊れてしまうと思えから。
よく「君と僕との仲」というが、親しくなってしまったからこそ聞けない、聞いてはならないこともある。真相を強く尋ねれば彼女はきっと、今でも時折見せる例の淋しそうな笑顔で全部話してくれるだろう。
だが、それまでだ。それから向こう、俺たちが歩いていく筈だった未来は確実に閉ざされてしまうだろう。
何時の頃からだろう?彼女とセラと三人、森の中の小屋とこの村という小さな世界に安息を感じていた。
「…くん。アルトくん!…あ、やっと戻ってきました」
はっとして視界を戻すと目の前に甚くご立腹の御様子のお嬢様が立っていた。どうやら思考の渦に陥っていたらしい。外に気を配るのを完全に忘れていた。
俺が何やら考えていた間に用事は全部済んだようだ。運び屋の姿もない。
「…すまなかったな」
「い-え」
短い返事と共に背負い鞄をひとつ持って背をむける。俺ももうひとつの鞄に手を伸ばす。
「何も聞かないんですね」
不意に投げ掛けられたそんな言葉。俺が何やら勘付きつつあると彼女も感じたのだろう。とぼけても無駄だろうか?それでも、俺は…
「…何のことだ?」
気付かない、振りをする。例えそれが薄っぺらな、欺瞞に塗れたものだとしても。
「帰りましょう。夕ご飯の支度しないと…セラちゃんに怒られちゃいます」
そう言って振り返った彼女は明るく微笑んだ。
“ありがとう"でも“ごめんなさい"でもない。その強さに俺は曳かれたんだろうな。
(すまん。ありがとう…)
上機嫌に前を歩く彼女の背中に向かって発した声なき言葉は、俺の弱さをありありと物語り、俺自身を傷つけただけだった。―――
「はっ!私達、お昼ご飯食べてませんよ」
「話が長引いていたようだったからな」
「む…デファンスさんが全部悪い」
―――
「ぶぇっくしょい!…何処かで美女が俺の噂をしているぜ」
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