《Dissonance#5》
(by 戯言士:皐月)洞窟の最奥部。
そこは小さな村ならすっぽり収まりそうなほどの空洞だった。
場に立ちこめる妙な刺激臭。何らかの儀式を行うためと思しき祭壇に立つ蝋燭の燃え尽きた燭台。床の七割を埋め尽くすほど広大かつ複雑に図形と魔術文字の組み合わさった魔方陣…
その魔方陣の中心にそれは居た。
いや、あった、と言う方が正確か。
膝を抱えて蹲ってさえ見上げなくてはならないほどの大きさをしたそれは、一応人型をしていた。
四肢を持ち、おそらく直立姿勢をとれる構造をしているから“人型"。膝を抱えた腕は胴を易々と一周するほど長く、後頭部が異常に突き出た頭はおろか全身に体毛が全く見当たらない。目のあるべき部分は白い被膜によって閉じられ、頭部の長さの半分ほども裂けた口からは鋭い牙が覗いている。
一体、これは何なのか?人間、エルフ、シャ-ズ、ドワ-フ、闇の者…一部例外はあれど、少なくとも人と称される種族にはこれに当て嵌まるような容姿の存在に思い当たるものはない。
「…ぅわ」
スィンは嫌悪感を隠そうともせず、心底嫌そうに顔をしかめる。
「流石にこれは驚きましたね。本物の異界の魔族なんて……でも、変ですね」
誰にともなく呟くフィーアの方に視線を向ける。それに気付いてか彼女はこちらを見上げる。
「死んでますよ、これ…いえ、“死"という概念がこれにあるのかは解りませんが…少なくとも生命活動は停止しています」
確かに、これを生物であると仮定するならば、この生物は死んでいる状態なのだろう。塞がれた目が使い物にならないとしても、聴覚、触覚、それ以外の何か…こちらを感知する術は持ち合わせているだろうに、身じろき一つしない。
だが、場を満たす瘴気が目の前のものから発せられているというのもまた事実だった。
「なら試してみりゃあいいじゃねえか」
腰の後ろから自動弓…多分自動弓だろう。何か手元のあたりがやたら物々しいが…を取り出して、フィーア曰く“異界の魔族"に向かって構えたスィンは、その引金をおもむろに引いた。
かかん、と弦が矢を打つ音が響く。
放たれた矢は、魔物の左目(であると思われる部分)に一本、眉間に一本、深々と突き立った。矢が刺さった部分から、血だろうか? 毒々しいほど鮮やかな緑の粘性の高そうな液体が細い筋を描いて滴れだす。
「これでいいだろ」
まぁ、眉間に矢を食らって生きている生物というのも稀だろう。“生きているか死んでいるか判らないなら少なくとも生きていない状態にしてしまえばいい"というのはかなり乱暴だと思うが…。
「わざわざ仕事に面倒増やすのは嫌いなんだよ」
ぶつくさ言いながらスィンは部屋の中央に鎮座する物体の脇を通り抜け、紫の布の掛けられた祭壇へ歩いていった。
釈然としない面持ちでそれを見ていたフィーアだったが、ふっと軽い溜息をついて自身も魔方陣の傍へ屈む。それを追って彼女の隣に立ち、魔方陣を見渡す。
「染料は…何かの血が入っていますね。描かれてまだ新しい…長く見積もって二十日程度でしょうか」
「ざっと見たところ術式は召喚系だな…かなり高度な複合陣だが」
「あれが被召喚体なのだとしたら、次元のゆらぎがない以上、召喚じたいは成功している筈ですね。だったら何故…」
彼女も同じ疑問に至ったようだ。降霊系と違って物質的召喚は、言葉で言う以上に困難なものである。それを為した上で被召喚体を魔方陣に固定化した状態であるということは、何かは知らないが、この召喚者はまだ行動を起こしていないということだ。なら彼女でなくとも当然の疑問に行き着く。
「術者はどこでしょう?」
「お-い」
その問いを断ち切ったのはスィンの声。祭壇で見つけたのか、何かをひらひらとさせながらこちらに向かっている。思考を中断し立ち上がってそちらに顔を向けたフィーアの目が何かを感じてかすっと細まる。
「デファンスさん、さがって」
鋭く飛んだその声に反応してスィンが魔方陣の外に退くのと、魔方陣の一部が淡く輝きだすのはほぼ同時だった。これは…
「違う魔方陣が紛れ込んでいた?見落としがあったか…すまん、と謝って済めばいいが」
魔方陣を読んだのは俺だ。その手落ちでことが後手に回ってしまったのだ。しっかり見切っていれば相応の対処も出来たはずだ。
「仕方ないでしょう。文字列の一部が本来の意味から外れた完全に違う術式に利用されています。私もこんな使い方は初めて見ました。今動いている術式は?」
光る文字とその配置に素早く目を走らせる。彼女の言うとおり、先刻まで異界の門を開く為の術式を構成していた文字の一部が別の法則で組み合わさり新たな術式を構成している。この配置は
「…降霊?こいつを核に何かを降ろす積もりか」
要するに、目の前の異界の生物…これすらも今起動している術式のための生贄にすぎなかったのだ。こいつの生死など問題ではなかった。本当に大事なのはこれがここに存在すること。
それに今更気付いたところでどうにかなるわけでもない。魔方陣に組み込まれていたこの生贄を戒める為の捕縛陣が意味を逆転させ、外部からの物理的/魔術的影響を遮断する防護障壁を形成している。何が起こるのか想像もつかないが、それが終わるまで指をくわえて見ているしかない、ということだ。
「おいおいおいおい」
スィンの驚く声に呼応するように(実際は全く関係ないのだろうが)魔方陣の中心で蹲っていたモノが立ち上がる。
猫背気味の胴を長い腕を地に付けることで支えるそれは、亜人よりもむしろ類人猿に近い格好だ。前傾姿勢をとってすら三メートルを優に越えているのではないかと思われるそれは、おもむろに天井を仰ぎ口を開く。
「Chaaaaaaa!!」
形容しがたい絶叫が洞窟内にこだまする。同時に場の瘴気がぐっと濃度を増したのを感じる。隣でフィーアが、魔方陣の反対側でスィンが、発狂せんばかりの異音に耳を塞ぐ。小刻みに震えているのは音の反響が生み出す振動のせいだろうか? 聴くものに不快感を催させる怪音の中、その音の主から逸らすまいとしていた目の前で変化は突然に起こった。
先ず、発せられる音に水音が交じりだした。はじめは小さく、次第に大きくなってきた水音は、そのうちぶくぶくという音に変わり、泡立った緑色の液体(矢が刺さったときにそれが流した液体と同じ色だ)と共に口からごぼごぼと流れだした。
次の瞬間、泡を吹きながら鳴き声がひときわ高く響いたかと思うと、口の裂け目をそのまま広げるように、体がばりばりと裂けはじめた。口から首、胸、腹…傷や口から吹いた色と同じ色に染められた臓物を激しくぶち撒けながらも、それは鳴き続ける。
無造作に撒かれた臓物の一部が膨れ上がったかと思うと、中から何かが姿を顕わした。それは人間だった。衣服の残骸のような黒い布切れを肩に貼りつけ、髪は殆ど頭皮と共に剥げ落ちて肌は酸に灼かれたかのように醜く爛れている。頭や顎、頬から覗く白いものは骨だろう。
多分、こいつがこの生物を召喚した主だ。術の失敗か何かで自らが召喚したモノにそのまま取り込まれてしまったのだ。餌の為に連れてこられた無関係な者、ということも考えたが、たとえ潰えても大きな街に情報が届きにくい小さな村が近くにあるというのに、そこを無視して余所から…というのはあまりに非効率的に思えた。
「…ぁぁ…ぅ…ぁ」
肉の海の中で男の顎が震える。あろうことか、その男はそんな状態になりながらも生きていた。眼球は溶け落ちたのか黒い眼窩をこちらに彷徨わせながら、言葉にならない呻き声をあげ、しきりにこちらに手を伸ばそうとしているが、胸から下がまだ臓物の中に埋まっているからだろう巧く動けないでいる。
「…っ」
流石に堪えかねたのか、フィーアが顔をしかめて目を逸らした。そして直後、同じようにしていたら善かったと大いに後悔することになった。
ごぼりと、何の前触れもなくその男が大量の血を口から吐き出した。いや、血だけではない。口からとめどなく溢れ出る、不気味に蠕動を繰り返す芋蟲にも似た真紅に塗れるそれは大概の生物の体に詰め込まれている器官…臓腑だ。しかし、人の体内に詰まっているもの全てと思われるだけを吐き終えても、その嘔吐は止まらない。ばぎばぎと、明らかに骨の砕けるような音をとめどなく発しながら、顎が外れたのか有り得ないほど大きく開いた口から、大きな肉の塊が迫り出してくる。それにつれ、こちらに伸ばしてきていた腕がしゅるしゅると縮む。みるみるうちに肩幅が狭まったかと思うと、ころりと頭が転がった。長大な肉の蛇を口から生んだ男には胴体がなかった。なら、先刻の腕は一体…。
最後は突然だった。
ぱきりという軽い音と共に爛れ崩れかけていた男の顔が更に歪む。頭骨が砕けたようだ。次の瞬間、めこめこと頭を萎ませながら、終には頭を裏返しに口から吐き出した。
そう、ここまできてようやく知った。彼が吐いていたのは彼の身体自身。長くのたくる胃腸につづいてきた一際太い肉塊は、裏返った彼の身体。
袋の口から手を突っ込んで袋の底を掴み、それを口から引っ張りだして裏返す。それを人体で実践した形、といえば解りやすいか?
死体などは飽きる程見てきた。純粋な戦闘ばかりか事故や事件に巻き込まれて原型を留めない程に破壊された死体もあったが…正直、それらが生温く感じられる。それほど異常な光景だ。
最悪なことに、異変はまだ続く。
人間と謎の生物…赤と緑が混ざって大変なことになっている血肉の海が、反転した男の死体を中心に寄り集まっていき、やがては鮮やかな肉色を青や紫の血管らしき筋が縦横に通る、悪夢のような尖塔を形成した。
素材となった生物よりも倍近く大きくなったそれの頂上に近い部分に、大きな瘤が見える。それはみるみる膨らみ、血と膿のような液体を撒き散らしながら弾けた。
中から顕れたのは女性の腰から上をかたどったもの。全体を形成する、おぞましい屍肉の塔の中にあって、その女性の部分だけは瑞々しい肌色を保っていた。
「…綺麗だ」
魔方陣を回り込んでこちらまで帰ってきていたスィンの溜息にも似た呟き。
言葉が出なかった。
大きさは一般的な成人女性とさほど変わりないくらいだろうか。癖もなく真直ぐな長い金髪も、細い輪郭に収まる眠っているような表情も、首も、肩も、手も指も乳房も腹も背も腰も…それを構成する要素全てが、完璧に計算し尽くされた「美」を形作っていた。
神々しささえ感じるそれが、グロテスクな基部と渾然一体となり、芸術神に愛された巨匠の手による作品の如く、付け足すところも、削るところもない、完成されたものになっている。
美の定義は人それぞれ違うだろうし、狼に食い荒らされた家畜のほうがまだ見れる感のする基部を美しいと称するのもどうかと思う。それでも多分、その言葉以外でこれを表現できるものはいないだろう。
青白い光を放っていた魔方陣が静かにその輝きを失う。
女性像の切れ長の目が、ゆっくり開かれる。意志の光のない、黄金色の瞳…
瘴気がその濃度を増し、暴風となって押し寄せる。 ―――――
そうだ。これが何かなど、初めから関係なかったのではないか。
何をごちゃごちゃ考える必要がある? やるべきこと、自分に求められていること、そんなことは分かり切っていた筈。
求められることは何時でも変わらない。
目的の為の道具になれ。障害を狩る刄となれ。人間の真似事などやめろ。 敵は…
目の前だ
#8
#7
#6
#4
#3
#2
#1
#0
歌劇団ニュース
プロフィール
インタビュー
歌
コミック
コント
戯曲
王劇設定集
王劇裏設定
地下劇場
壁を見る
投稿!
外に出る