彼が居ないことに皆が気付いたのは、彼が出発したとされる日から五日後のことだった。
殆ど彼から離れることがなかった少女が最近単体行動しているな、と誰かが言いはじめ
実際、彼女に尋ねてみたら「さぁ?」という、あまりに素っ気ない返答があり
彼女が喋るの初めて見たと大騒ぎになって
実は団長のところには休暇届が出ていることが判明した。
休暇届に帰還予定日が記入されてないと誰かが騒いでいるのを聞き流しながら、スィンは静かに目を閉じる。
脳裏に浮かぶ光景に思わず苦笑する。
よりにもよって、どうして思い浮かんだのが“そこ"なのか自分でもさっぱりわからない。
まぁ、あれは確かに印象深い出来事ではあった。《Dissonance#6
“performer/Sin"》
(by 戯言士:皐月)
“矢のように"という表現があるが、実際に矢より早く人が疾る光景、というのを見たことがある者は稀ではないか?
肉を捏ね回して積み上げたオブジェに向かって真直ぐ疾走する、銀の鏃を持ち黒い尾を引く一本の矢。
スィン自身、それが何か理解するのに一瞬を要した。
突然飛び出した影…アルトは、右手に持った剣を左下から逆袈裟に斬り上げる。
ぞぶり、と肉を断つ音と共に、生肉の化け物の胴体に一本の筋が走り、そこから夥しい量の赤黒い液体を吹き出した。
そこで初めてアルトの存在を感知した、とでもいうように、化け物の上部、女性像の瞳が動き、彼を捉える。
肉塊をとりまく青黒い線…血管だと思っていたもの…のうち一際太い幾本かが本体から剥がれ、縒り合わさって一本の触手のような器官を形成する。もう一度斬撃を加えようとしているアルトに向かい、上段からその触手が打ち下ろされた。
「おいっ!」
それが聞こえたのか聞こえてないのか…距離からしたら充分聞こえている筈…アルトはそれを無視して化け物に剣を叩き込んだ。
舌打ちしつつ手探りで自動弓のボルトの残弾を確認…まだ余裕はある。何時でも使用できる状態のままにしておいた自動弓にもまだ数発のボルトが装填されたままになっている。打ち下ろされる触手の中央より少し根元に近い部分…先端が加速されても根元はあまり動かないので狙いやすい…に向かって二本。続けて先端に近い部分の軌道を適当に予測して装填されていたボルトの残りを全部ばら撒く。
狙い通り。初めの二本のうち一本が触手の途中に刺さり、本来の運動の支点を狂わされ、ひきつるように動きを止めた触手を何本かのボルトが胴体に縫いとめる。
足止め効果は、ほんと一瞬だった。あっさりとボルトは引き抜かれ、触手は再び獲物に向かって伸びる。
相手の図体に対して自動弓のボルトは確かに細く短いが、流石にそんな簡単に抜かれるとは思ってなかった。
が、アルトにとってはその一瞬で充分だったようだ。
上体を捻るようにして、右から横一文字に斬り付けた剣を捻り、真上に振り上げる。それは丁度打ちかかってくる触手を真っ向から迎撃する形になった。
…なんて言うのは簡単だが、殆ど根元までぶっ刺さった状態の剣の軌道を直角に近い角度で捻曲げる、なんて芸当は初めて見た。どんなふざけた筋力があれば出来るのか? 因みにスィンは出来ない。同じことを短剣でやれと言われても、多分、無理。
がん! と硬質のものが打ちあう音が響く。その容姿に似合わず、血管の集合体のような触手は相当な硬度を有しているようだ。
少々タイミングがずれたとはいえ、万全を期して放たれた触手に対して、相当無理な態勢でそれを受けとめたアルトが不利なのは明白。一瞬の拮抗の後、愉快なほど呆気なく、アルトは防御ごと触手に圧し潰された。
激しく叩きつけられた触手が地面を抉り、岩の破片を撒き散らす。
思考を巡らせる。
視線を、さっきから妙に静かな隣に居る筈の人間に向け……逡巡の余地もなく結論は出た。
「逃げるよ」
支えるように肩に手を回してその小さな身体を引き寄せる。一言も話さないと思ったら、フィ-アはやばいくらいに青い顔をしている。この辺り一体に広がる、異様にねばっこくて重い空気に充てられたんだと思う。何だかんだ言っても、やはりこんな少女に戦闘は酷だろう。浅くて早い呼吸も、微妙に視点の合わない目も、相当きている証拠だ。だと言うのに、彼女はスィンの手を弱々しく押し退け、苦しそうな吐息と共に声を絞りだした。
「…アルトくん…は?」
「他人の心配してる場合じゃないだろ」
それに、これ以上ここに留まられると、スィンに課せられた仕事にも影響が出る。
受けた仕事は、村の驚異の排除でも、それを為す彼女の支援でもない。依頼者の老人はこう言った。
「嬢を頼みます」
今のスィンに於いて、最優先はフィ-アの安全。この状況では、仕事の失敗どころか、自分の命さえ危うい。
スィンのその心情を読み取ったように、彼女は顔を上げて薄く微笑んだ。
「無理しなくていいんですよ」
無理しているのは一体どっちだ?
眉をひそめるスィンに力ない笑顔を向けたまま彼女は続ける。
「私は……」
「ああ、もう!」
苛立ちが思わず口を突いて出る。
彼女とは仕事の付き合いで数年前…アルトが顔を見せる前…から知り合いだが、ここまで他人に執着を持つ性格ではなかった筈だ。アルトと知り合って彼女にどういう心変わりがあったか知らないが別にどうでもいい。
確実なのは、ここでアルトを放ってフィ-アを無理矢理に連れ帰っても、彼女は不調をおしてでも此処に戻ってくるだろう、ということ。
仕事は果たしたからその後他人がどうしようが関係ないよ勝手にどうぞ、と言えばそれまでなのだが…
この仕事を続ける上で、そう思えることが一種の到達点であると思ってはいれども、そこまで割り切った考えが確実に出来るほど達観していない。非常に残念であるが。
奴は死んだと言えば諦めてくれる…とも思えず、スィン自身、触手に圧し潰されるのを見たのに何故か奴は死んでないんじゃないか?という根拠もないのに確信にも似た思いがあった。
頭をがじがじ掻きながら心底面倒そうに言い放つ。
「…別料金な」
などと言ってはみたが、さて、どうしよう?
こちらの面子
自分→何か攻撃力不足っぽい?
鉄砲玉力馬鹿→生死不明
体調不良幼女→戦力外
どないせっちゅうねん。
一瞬で投げそうになった思考に更なる追い打ち。
化け物の、アルトに斬られてばっくり開いた傷口が、時間を巻き戻すように閉じていく。どうやら再生能力まで持っているようだ。
あ、終わったな。とか半ば諦めム-ドで化け物を見ていて、さっき修復された傷口に目を止める。
傷は塞がっていた。が、完全に、ではない。縫い目が荒い、というか、表面部分まで閉じている部分もあるが、少なからず塞がったり剥がれたりを繰り返したり、明らかに再生を放棄したように開きっぱなしの部分がある。
「再生能力を上回る損害を与えれば倒せなくはないってことか…」
…出来るかどうかは別だけどな。
自動弓の弦を引いて固定し、弾倉にボルトを装填する。
自分で改造を施したこの自動弓の最大の売りは連射できること。弾倉と弦を連続で引きはじく装置の為に少々嵩張るのが難点だが、一度装填してしまえば弾切れまで再装填の手間と隙がないので、近距離戦では特に重宝する。それに、今回は的が大きいから狙わなくていいので楽だ。
引金を引くと、軽快な音を立てながら三本の弦が順番に、はじけ、ボルトを押し出し、歯車に巻かれて引き絞られ、またはじけ、を繰り返す。
放たれたボルトは外れることなく全弾が的…化け物の胴部…に突き刺さる。
「やっぱ効いてないよな」
溜息を吐きつつ短剣を抜き放ち、接近しようとした足が止まる。化け物の後ろから、勢い良く飛び出す影があった。
アルトか?…それにしてはやたら小さいような。
肉塊の上の女性像前あたりで停止したそれを目にして頬が引きつる。
赤ん坊程度の大きさの死人のような青白い肌をした人型の何か……通路で戦りあったアレである。
「…やっぱり………?でも、まさか」
フィ-アが何事か呟いているが、無視。意味解らないし。
…それよりも、こっちを早急に何とかせねば。あの謎の攻撃が来たとき、次も無事に避けれるとも限らないし。
今回は何故か姿を消してないのが救いである。
迷わず自動弓をそちらに向けて二射。
二本ともをその大きな顔に受け、呆気なく落ちる化け物(小)。地面に落ちたそれは、泡立ちながら溶け、僅かな染みだけ残して跡形もなく消え去った。
予想外の弱さに呆然とする間も与えられず、今度は二体、同じような青白い化け物が肉の塔の中から生えてきた。
「見えてさえいりゃ、こっちだってな」
向こうが何かを仕掛けてくるより早く、女性像の前で浮遊する二体に向けて自動弓の引金を引く。
そのうち三発を受けた一体が沈むが、もう一方は意外に素早い動作で宙を泳いで横に移動し、ボルトの射線から逃れる。
外れたボルトは、その後ろにいた肉塊の化け物を襲うが、奴はその尽くを新たに生やした細い触手の一振りで打ち払った。
「まずいっ!」
焦りを必死に堪え、再度、矢を放つ。が、数発撃ったところで、がぎり、と堅い音がして歯車の運動が止まる。
「よりによって、こんな時にっ!」
この連射機構は試作品である上、どうしても複雑な構造にならざるを得ない為、こういった故障は避けることは出来ない。が、あまりにもタイミングが悪過ぎる。
何とか放たれた数本のボルトも当たり前のように躱され、その後ろで触手に叩き落とされた。
ぱちぱちぱち、と小石のぶつかりあうような音が肉の化け物の発する鼓動の音に混じって聞こえだす。
それに併せて何とも形容しがたい感覚がスィンを襲う。全身の産毛が逆立つような…
恐れていたものがついに始まったらしい。
通路で戦った奴が使ってきた、不可視にして正体不明の攻撃。
目に見えないからタイミングを合わせて躱すのは無理。正体が解らないんだから対処法も不明。通路では何故か躱せたが、何度も偶然に頼れるほど能天気ではない。
だからといって、されるがままというのも気に食わない。
今にも崩れ落ちそうな様子のフィ-アを引き寄せ、ふらふらと高度を落とす青白い化け物を見据えたまま何時でも跳びさがれるよう腰を落とす。
直後に動いたのは、青白い化け物でもスィンやフィ-アでもなかった。
青白い化け物が高度を下げるのを待ち構えていたようなタイミングで、肉の化け物が触手で岩の地面に創った窪みから何かが起き上がる。
所々小さな出血はしているようだが、銀色の長剣を片手に、全く危なげなく立つ男の影。
正直、異様だ。
何故なら彼は“真上"から打ちつけられた触手を“地上で"“受けとめた"のだ。
つまり、触手自体の重さが産む分を含めた全ての力をその全身で受けたことになる。地面は硬い岩盤。圧力が逃げる場所すらない。
その状態であの軽傷を、異様と言わずして何と言うのか。
「アル……ッ!?」
思わず息を詰まらせてしまうのも道理。
それに、あの眼。
初めて会った時から目を引かれた、フィ-アと同じ磨きぬかれた紅玉の…という表現がしっくりくる彼の眼が…
その言葉のとおり、紅玉で創られた高価なビスクド-ルの眼球のような…何の感情も灯さない作り物の眼に見えたのだ。
表情を殺してつくった表情ではない、「無」表情。屍面よりも死んだ顔。
それは目の前に佇む肉塊の化け物の、金色の髪と眼を持つ女性像のそれと被って映った。
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