その声に、触手を受け流しつつ肉壁を削り取っていたアルトの視線ががちらりと頭上の彫像を捉える。
一際激しく打ち付けられた触手の一撃を躱すと同時に地を蹴ったアルトは、そのまま肉の壁を駆け上がった。見た目どおりなら相当足場は悪かろうに、そのような素振りも見せず着実に彫像との距離を詰める。
と、突然アルトが姿勢を崩す。先刻迄何もなかった筈の場所から生えた一本の細い触手がアルトの右腕に巻き付いていた。
それへのアルトの対処も素早かった。触手に巻き付かれた右手に持っていた剣を左手に移し、叩きつけるように触手に打ち込む。太いものは相当な耐久力を持っているようだが、腕に巻き付いた細い触手はそれで寸断された。
身体は自由になったが、かといって急斜面の肉壁の上で崩れた体勢が戻るわけではない。あそこから落ちるのは問題外だろうし、ゆっくり体勢を立て直すのをあの化け物が待ってくれる訳もないだろう。
アルトは剣をほぼ根元まで肉壁に突きたてると、その柄を支点に身体を捻ってその上に着地、剣の柄を蹴って更に上を目指す。
剣を踏み台に使った為に武器を失った筈のアルトだが、その左手には一振りの短剣。剣の柄を踏み切る時に手をブ-ツの側面に滑らせたように見えたが、その時抜き取ったのだろう。艶のない黒い刀身の短剣だった。光源の乏しいこの場では闇を手にしているようにしか見えない。
隠し武器…俗に暗器というやつだ。
出発時にアルトが口にした「手持ちの武器はない」という台詞…それにはあの暗器を隠す意図はなかっただろう。手足と同様、あって当然の身体機関の一部という認識なのだ。
ああいうモノを扱う者達にとっては…

などと悠長に眺めている場合ではないのは解っている…が、それ以外に出来ることがない。
何せ、繰り広げられる攻防を目で追って状況を認識するのが精一杯なのである。だいいち、飛び道具も切れた現状で直角に近い壁の上の方にある場所を攻める手段を思いつかなかった。

そしてそれは、あと僅かでアルトが目標を射程におさめるという時に起こった。
「ぇ?…ひゃん!」
突然のフィ-アの悲鳴に振り向く余裕はスィンにはなかった。それより先に、何かが後頭部にぶつかる。その一撃を全く予想していなかったスィンは、踏張ることもできずに前へ倒れた。
「へぶんっ!」
堅く冷たい岩盤で顔面を強打する。
鼻を撫でつつ身体を起こしたスィンの目にまず飛び込んできたのは、遥か上から落下するアルトの姿。
どん、というかなり激しい音と共に、此迄のアルトと化け物の戦闘で粉砕された岩の欠片や粉塵が宙に舞う。化け物の触手攻撃もかくや、という勢いで地面に衝突したところを見ても、決して自由落下ではありえない。
その原因を求めて視線を上げるまでもなく、それはアルトが落ちた地点に向けて降ってきた。これも自由落下とは違う、舞い散る粉塵に相当の速度で飛び込む白い影。
直後、金属同士のぶつかる音がして、それが粉塵を振り切り飛び出してくる。
白い影を追い掛けるように疾る黒はアルトだ。下からすくい上げるように放たれた一撃を、白い影は事もなげに受け流す。
それは所々擦り切れてはいるが、純白に金色の縁取りの刺繍が施されたロ-ブを頭から被った人だった。身長は…低い。160センチあるかどうかだろう。手には一本の長剣。特にどうということはない、街の武器屋に並ぶ手頃な価格の量産品。顔を隠している為、性別やら種族やら解らないことだらけだが、少なくとも友好的な雰囲気ではない。
あの化け物だけでも手に余るというのに…

黒と白の乱舞は続く。
空振りして延び切ったアルトの左腕を、白い影の剣を持っていない左手が襲う。アルトは一歩踏み込んで身体をその軌道に割り込ませることで腕を捕まれるのを阻止した。
初手を阻まれた白い影は素早くステップで間合いをとり、アルトが体勢を建て直す暇も与えずに踏み込みながら剣を横に凪ぐ。その攻撃をアルトは逆手に持ちかえた短剣で防御。
そこで白い影が予想外の行動に出た。防御された剣をあっさり手放したのだ。全力で剣を打ち合わせた時の反動は想像を遥かに越えるものである。白ロ-ブは剣を手放すことで腕に達する反動…ひいては、それにより自身が硬直する時間を軽減したのだ。
白い影はそのまま滑るように身体をアルトの間合いの内側に滑り込ませると、鳩尾に掌底を放つ。
白い影の足が地を穿つ…。だん!と爆音にも似た音が響き渡る。
掌底の直撃を受けて盛大に吹っ飛んだアルトだったが、危なげなく着地したところを見ると震脚の音は派手でもそれに見合うほどの威力はないのかもしれない。そればかりは、あの体格差を鑑みれば仕方のないことかもしれないが。
「…ん?」
目の前で超一流とか称される街の武闘家達の演舞さえ幼児の遊戯に思えてくるほどの戦いが何者の邪魔も入る事無く展開されている。
おかしいではないか?
「何であの化け物、動かないんだ?」
過剰なまでにアルトにまとわりついていた化け物の触手が、あの白ロ-ブが乱入してからだろうか…全く仕掛けていかない。見ればアルトと白ロ-ブの戦いの上でふらふらと触手を彷徨わせ、どこか攻撃を躊躇っているふうに見えなくもない。
と、これはあくまで希望的観測。あれが攻撃を躊躇う理由がない。少なくともスィンには判らない。もしかすると何か大きな一撃の前触れというのも考えられる。

「あの人を巻き込むような攻撃、彼女はしませんよ」
その答えは、すぐ隣から返ってきた。
「え?」
振り向くと、額を擦りながら身を起こす少女の姿。それに手を貸しながら聞き返す。
「何?あいつら何なのか知ってるのか?」
「はい。私が知っているのと随分見た目が変わってたので、いまいち確証が持てなかったんですが…あの人が出てくるなら間違いないです。あれは…“龍"」
「りゅう?え?全然竜っぽくないけど…?」
「大きな蜥蜴とは違いますよ。竜ではなく“龍"。世界の法則を越えて存在する“幻想種"…」
「………」
幻想種…言葉の通り、地上に住むあらゆる種族の認識の遥か上に存在する種。そしてその殆どが、またその言葉の通りに人の幻想の生み出した種族なのだ。
目の前のあの化け物が“それ"であると彼女は言う。
「そんな大したものなのか?俺には屍霊秘術(ネクロマンシ-)の失敗作にしか見えないけど」
等身大の戦いの奥に今は静かに佇む化け物に目を向ける。
その身体には竜をといって連想するような、鋼の鱗も強靱な爪や牙も存在しない。ただ捏ね回した肉を積み上げて仕上げたような塔が粘液に塗れて闇の中でぬらぬらと光り、心臓の鼓動のように脈打っている。どちらかといえば、屍人や悪霊を使役する屍霊秘術によるもの、という方が尤らしく思える。
スィンの洩らした感想にフィ-アはふっとその口元を緩めて応えた。

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